1. 台湾で30歳を迎えるとは思っていなかった

2015.07.022015.10.05 Update

台湾で30歳を迎えるとは思っていなかった

というわけで最近30歳を迎えました。

21歳の時に30歳の方と少しだけ男女のお付き合いをしたことがあったんですが、もうあの年齢になったんだなーと今しがた思い出したところです。

身近に近い将来必ず通る年齢の人がいると、僕もその年齢にはどうなってるのかなと考えるきっかけになるので、30歳になるまではこんなことをしておこうって目標を立てたこともありました。

けど結局は目標とか考えずに今好きなことにコツコツ取り組んで、食っていけるかどうかに繋げることを考えるのが好きなので大体実現できていませんし、当時なりたかった自分とは大きく外れています。

それにちなんで今回は僕の「30歳なのに◯◯◯」をつらつら書きたいと思います。つまり昔の僕が思いもしなかった事と現在のギャップにフォーカスを当てていきたいと思います。

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30歳なのにサラリーマンじゃなくなってるとは

淡水河

小学生になると立派な大人=サラリーマンみたいな刷り込みに加え、ストレス社会を耐えぬくための理不尽を強いられる教育が始まるわけですが、僕もあの頃はこのくらいの年齢(30歳)になったらスーツをビシッと着て会社に通勤する姿しか思い描いていませんでした。

やがて高校生になると、僕の通っていた高校では、月に1度校門のところに先生が立って生徒の服装が学校の規則に反していないかチェックするという時代錯誤な行事がありました。

学校の規則に反する代表的な服装は、髪の染色、ピアス・カラーシャツの着用などで、これに該当した生徒はある日の放課後、一箇所に集められ(るらしく)、生活指導の先生からみんなで仲良くお説教を受けます。

僕はこの「服装身だしなみ検査(って先生は呼んでました)」に毎回引っかかっていたのですが、上に“らしく”と書いたように一度もそのお説教部屋へ行ったことがありませんでした。すると翌日に担任から「何故来なかったのか?」と怒られます。当然ですね。

僕は「学校の規則で自分の格好はいけないことは頭で分かっている。それを承知の上で自分の判断の元、ファッションとしての学生服を楽しんでいる。言われることは分かっているから行く理由はない。」という考えを毎回話していましたが、「無駄なことをさせるためにコレをやっているんだ。」と返されてお終いでした。

それもこれも全ては上が黒だと行ったら白だと思ったものでも黒だと思わなければいけない、日本のため会社のために死ぬ企業戦士をつくるための準備運動に過ぎなかったことにいい加減気づきまして。

そんな社会の厳しさを、実際に前線に出る前に教えてくれた先生達と過ごした時から10年が経ち、「今これをやる自分にとっての意味とは…」について再び考え出すようになり、色々な過程ときっかけがあって今に至るわけです。

そんなこんなで、これで僕は日本国内でサラリーマンとして働ける可能性がグッと低くなり、いよいよ後戻り出来ないということを実感させてくれるとても重みのある数字です30歳。ほんと1年後とか何してるんだろ。

30歳なのにこんなに友達が少ないとは

甜蜜王國の内装

僕がブログに使ってる写真を見れば一目瞭然ですが、まぁ空とか風景とか無機物とかサーモグラフィーに通しても寒色しか見えなそうな写真が多いです。友達は決して多くない。

友達といえばその数を定量化できる(?ツールとしてFacebookがありますが、友達少ない病をこじらせFBを使い始めた時から誕生日通知をオフにしてます。けど共通の友人がまた別の共通の友人に誕生日おめでとうメッセージを送っている様子は監視してます。

自分は通知オフなので「お誕生日おめでとう!これからの1年が◯◯にとって(略)」みたいな「その年が良い年になるかどうかは前の1年をどう過ごしたかで決まるんだよ…」と空気を壊す返信をせずにはいられないメッセージが投稿されるとかも特にありません。(←こういう性格がダメ)

あと、そういえば小学生の頃卒業アルバムに載せるために同じ学年の生徒が全員強制で書く作文があったんですけど、別のクラスにいた僕のあるひとりの友人が「友達のつくりかた」っていうタイトルでその卒業作文を書いたんですね。

「自分(その友達)は、小学校に入るまで本当の友達と言える存在がいなかったけど、小学校に入って同じクラスになったある人が僕に声をかけてくれて、友達の作り方を教えてくれた。」っていう小学生らしからぬテーマで書かれたそれはとても美しい内容なんですが、その物語に登場する「ある人」って僕なんですよね。

なんで僕は今こんなになっちゃったんでしょう。

30歳なのに外国語を使って外国人と話が出来るようになっているとは

林森北路にあるお店の張り紙

このブログのプロフィールに書いているように僕は27歳の時に台湾へ1人旅に出る前は、国外のことに関心も無ければ外国語にも一切興味がありませんでした。

結果として初めて海外に出て訪れた台湾にハマり、中国語の勉強を始めるきっかけに繋がるわけですが、高校生の頃は一生日本語しか使わないと思っていて、英語の授業はほんと無駄だなーと思いながら時間を浪費していました。

それが今では、日本語以外の言語を覚えて自分の国以外の人たちと話すことが好きなことのひとつで、中国語は現在学習中として、英語も中1レベルですが、台湾師範大学で一緒のクラスになった他の国の人達に、その人達の母国語の簡単な言葉を教えてもらったりして、韓国語に関しては簡単な挨拶だけ出来るようになったりしてます。(よく日本人から韓国人に間違えられるので偽装するのが楽しい)

まず、外国人と話をする時に「英語より中国語の方が比較的話せます」っていう提案を相手に出来るようになったことがとてつもない進歩なんだよなぁと思います。英語じゃなくて中国語という点も、過去の僕が知ったらびっくりして立ち幅跳び3mくらい跳べそうなくらい予想外の出来事。

最後にひとこと

社会的な地位とか結婚や子どもについては人によってあると思いますが、思い描いていたものとのギャップは書いてみれば案外少なかったです。多分自分の辿ってきた軌跡にほとんど後悔が無いからだと思います。

あと不思議と今後に対しての不安もありません。常に自分の理想をアップデートしながら、やりたいことを見つけて取り組んでいけたら楽しいだろうなぁと思ってます。とりあえずお金はツールなんで沢山お金は欲しいですね。はい。

ナカジマチカ

ナカジマチカ / nakazimachica

1985年生まれ。神奈川県横浜市出身。東京で会社員として約7年間働いた後、台湾で1年間中国語留学、更に1年間のワーホリを経て日本社会から足を大きく踏み外しました。現在は台北を拠点にフリーランスとして生活しています。

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淡水河

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1985年生まれ。神奈川県横浜市出身。東京で会社員として約7年間働いた後、台湾で1年間中国語留学、更に1年間のワーホリを経て日本社会から足を大きく踏み外しました。現在は台北を拠点にフリーランスとして生活しています。

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