1. プロフィール

プロフィール

目次

自己紹介

ナカジマチカ本人写真

名前:ナカジマチカ
1985年生まれ。神奈川県横浜市出身。
台湾の台北市に活動拠点を置き、フリーランスでWeb関係の仕事をしたりブログを書いたり、時々海外旅行をして生活しています。

できること・得意なこと

  • 台湾関連PRのお手伝い [広告掲載について]
  • Webサイトやブログのデザイン・構築
  • CGを用いた動きのあるショートムービー制作
  • 中国語(台灣國語)

SNS

  • Twitter(@nakazimachica
    ブログの更新情報や中国語に関すること、台湾の日常などを日々流しています。
  • Instagram(@nakazimachica
    時々ブログやTwitterへ投稿していない台湾や海外の写真を上げます。
  • Facebook(@nakazimachica
    主にブログの更新情報を中国語の概要付きで投稿します。

連絡先メールアドレス

nakazimachica[at]gmail.com

頂いたメールは全て拝見していますが、個人的な質問・相談などに対して全て返信を行うのが難しい状況になっています。ご自身の状況や連絡に至った動機などを明記の上ご連絡頂けると具体的な返信がしやすいです。

ただ台湾のビザや居留証についての質問には自分の立場上確実な回答ができません。該当する各機関にお問い合わせください。

※送信者様のスマホ・携帯電話の設定によってはこちらの返信を受け取れない場合があります。キャリアメール(携帯メール)でご連絡の際は受信設定をご確認頂くかフリーのアドレスでご連絡頂けると幸いです。

ナカジマチカの過去を振り返る

幼少期

海外には全くと言っていいほど縁も興味もない家庭に生まれ、4歳くらいまではブロックで遊んだり絵を描いたり粘土で何かを作ったり、モノづくりが好きな少年であった。

ある日、父が持っていたツインファミコン(任天堂じゃなくてシャープが発売したファミコン。ディスクシステムと一体型になってる。)で少しだけ遊ばせてもらったことがきっかけでTVゲームにどっぷりのめり込む。

父は近視でそれを不憫に思っていたため長時間のゲームを良しとしなかった。それにも関わらず来る日も来る日もファミコンを願う僕を見かねた両親はついにはファミコンを封印するに至り、最終的に僕の手の届かないタンスの上に置かれたファミコンだったが、両親のいない隙にゲーム機を器用に運び出し隠れて遊び続けていた。

小~中学生時代

テレビゲーム大好きなのは相変わらずで、放課後や週末には友達の家や自宅に集まってパーティーゲームをやるのが習慣だった。

当時バスケ部に所属していたこともあり女子からの評判は悪くなかったが、女子とアレコレするくらいならガイルで座った状態からいつでもサマーソルトキックとソニックブームが出せることの方が重要だったぐらいゲームが好きだったので徐々に非モテの道へ。

小学生時代は主にボンバーマンとドカポン、中学生時代はニンテンドー64の007ゴールデンアイやスマブラに友人と明け暮れる日々で、強くなればなるほど一緒に遊んでくれる友人が去っていきCPUを相手に孤独に戦い続けた。

そして中学校生活はトイレにタバコの吸殻が沢山落ちていたり、廊下に出れば原付で走り回る先輩がいたり、体育館で朝会をしていれば爆竹が投げ込まれたり、夏に教室で授業を受けていれば窓の隙間から意図的にホースの水が降り注ぐような、完全な無法地帯であった。

そんな状況で当時なぜか悪目立ちしてしまい不良の先輩方に目をつけられ、守ってくれる人がいない中頻繁に行われるイビリに耐えかねて、一度は学校を辞めて祖父母が営む畳屋で働いて生活していくことを真剣に考えたこともあった。

高校生時代

高校の受験勉強のため一時的に距離を置いた所為かTVゲームへの熱がぴたりと収まってしまいバイトで溜めたお金の使い道を持て余していたことや暇だったこともあり高校2年の冬になんとなく人生初のPC(SOTECのWindowsXP)を購入する。

結果インターネットで世界が広がるが、2chやネトゲの世界に没入しすぎて家から出る頻度が極端に減り、現実世界に対しての視野は狭まっていった。

高校3年生になった時、PCひとつあればWebサイトが作れるということを知り、独学でメモ帳にHTMLタグをぽちぽちと打ってはWebサイト(黒歴史)を量産する日々を始める。

学生時代

ゼミ選択前から校内では厳しいと有名で、同期が自分以外に4人居たはずなのに1年が経った頃僕以外の全員が辞めてしまったゼミに入る。

毎日怒られながら学内・学外でプレゼンしたり学会発表のために全国を回る日々を経て、「この時の自分に比べれば…」と考えることで大体のつらい出来事は乗りきれるようになる。

この頃にブログの存在を知り、レンタルブログサービスを利用してファッション、考察、ニュースサイトなど様々なジャンルのブログを複数運営し自分の考えを書きはじめる。当時は1サイト1日200PVも行けば満足だった。

就職

早く学業に戻りたい気持ちと卒業研究に集中したい一心で、ごく普通に就職活動を行って2番目くらいに内定が出た会社にジョインを決める。

学校を卒業し会社員になったことで時間とお金が確保しやすくなり、当時主流だったCMSのMovable Typeを勉強して自分で1からブログを構築して趣味やデザインをテーマにしたブログを書いたり、PCを一新しAdobeソフトを購入して趣味でCGを用いた映像制作を始める。

会社に勤めて間もなく3年という頃合いで尊敬する上司や先輩が会社を去っていき、それがきっかけで自分も退職することを決め転職する。またこの頃から細々と続けていたブログ運営にWordPressを使い始める。

趣味のひとつとして続けていた映像制作は活動4年目あたりで少し花を咲かせ、自分の作った映像が公共スペースの大スクリーンで流れたり、カラオケで本人映像として配信されたり、自分の作った映像が含まれるMV集DVD・BDが発売されたりするなど普通のサラリーマンでは経験できないような経験をする。

CGでの映像制作の経験を活かし初めて挑戦した実写映像作品

初めての海外旅行で台湾へ

「そういや一度もひとり旅に出たこと無いし、海外にも行ったこともないなぁ。」という突然の思い付きから20代後半にして生まれて初めて海外旅行へ。行き先として選んだ国は日本人にとって色々な意味で距離が近いと聞いていた台湾。

この初の海外旅行、初の台湾は非常に楽しく衝撃的でまた台湾へ遊びに行きたいとは思ったが、当時は自分が海外で生活することは全く想像していなかった。

台湾で生活するために会社員を辞めフリーランスに転身

初めて台湾を訪れてから気が付けば年1,2のペースで台湾へ足を運び、行けば行くほど台湾を好きになっていき、4回目の台湾旅行が終わった後に台湾で生活することを決意。会社へ行きつつ退勤後や休日に中国語を少しずつ勉強するなど台湾に住む準備を進める。

ちょうど日本で会社員として生き続けることに対し退屈や不安などを抱いていたこともあり「環境にとらわれず好きなことをやりつつ、挑戦しながら成長して生きたい」という理由で約4年半勤めた2社目の会社を退職。

同時に特にアテも人脈も収入も無いままフリーランスのデザイナーとして独立し、台湾での生活を開始する。

台湾留学

台湾にある台湾師範大学の語学センターに通い中国語を1年間勉強し、生活に困らない程度の中国語ができるようになり、長期の台湾生活を通して台湾を更に好きになる。

この台湾留学生活の様子を本ブログやTwitter(@nakazimachica)を利用して発信し続けたことで、同じく台湾に住む日本人や台湾好きな方と交流したり、台湾への理解をより深める。

〜 現在

台湾在住4年目。台湾の台北市を拠点にフリーランサーとして活動中。

ナカジマチカ

ナカジマチカ / nakazimachica

1985年生まれ。神奈川県横浜市出身。東京で会社員として約7年間働いた後、台湾で1年間中国語留学、更に1年間のワーホリを経て日本社会から足を大きく踏み外しました。現在は台北を拠点にフリーランスとして生活しています。

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