ども台湾在住のナカジマチカ(@nakazimachica)です。台湾で暮らして約5年が経過しました。
3年、4年と比べ大きな差があるわけではありませんが、それでも5年という歳月は自分の人生を構築するひと区切りの単位に感じてしまいます。
毎年1年間をひとまとまりとして台湾での生活記録というか振り返りみたいなものを残しているので、今年も日本人が台湾で暮らすことや自分が考えていることなどをつらつら書いていきたいと思います。それではご覧ください。
目次
ここが私のアナザースカイ(仮)
観たことないんですけどね、すみません。というわけでタイトル通り台湾にもう5年住んでいます。無論台湾で暮らして数十年みたいな先輩方と比べればまだたった5年なわけですが、僕の人生の約1/6にあたる時間だったりするので結構長いです。
僕と同じように継続して住んでいれば台湾で6年目を迎えるはずだった2015年に出会った日本人の友人達は、これからの台湾生活に対し心を躍らせていた人も含め、そのほとんどが台湾を離れ日本やその他の国で新しい生活を始めました。
みんながそれぞれ過ごした台湾は既に良い思い出のひとつになっていると思いますが、僕の台湾はまだ進行形です。
そして2020年も下半期に差し掛かった現在、事実として僕にとっての台湾は既に個人的な好き嫌いに関係なく帰ってくるべき場所のひとつになりました。
正直に言えば台湾で生活を始めたばかりの頃は、「そういう人生もいいかもしれない」と楽観的に考えつつ頭の片隅には日本へ帰る可能性も残して、一種の余裕を持っていたと思います。
ですがこうして実際に台湾社会を構成する一員になると、台湾で暮らし続けることに対し不安が込み上げてきています。
後の台湾生活に暗い影を落とさないよう、台湾でも健やかに暮らすために出来ないことは潰しながら生活してきたつもりですが、それでも生まれ育った国ではない地に根を張るというのは、これから起こるかもしれない未曾有の出来事に対し敏感にならざるを得ません。
台湾には滞在を許されている限り住み続けたいと考えていますが、様々な要因で自分達の去就を考えることになり、日本で生活する可能性が0ではないことも心積もりしています。
改めて自分の仕事の話
次にこの5年間僕が台湾でどう生活してきたのか、つまりどんな仕事をして暮らしているのか書きたいと思います。
何をやってるのかよく質問されるってのもあるのですが、身分としてはもう学生ではないので、社会貢献できるかどうかを抜きにして「私はこんな人間です」と初対面の挨拶などで示す必要があります。自己紹介がてら改めて。
まず僕は会社員ではなくフリーランスで働いています。この働き方はこの5年間全く変化していません。
声を上げるのが上手な方々のおかげか世間的にフリーランスと呼ばれる人達は、YouTuber、インスタグラマー、ブロガー、またはそれらの上位概念であるインフルエンサー等の「組織に縛られず、好きなことをして稼ぐ」人という印象になってきている気がしないでもないですが、フリーランスは働き方のひとつなのでどの職種にも当てはまります。
で、僕はというとフリーランスのデザイナーです。デザインと言っても色々あるのでもう少し掘り下げると、現在は下記の2つをメインに行っています。
- Webサイトを中心としたデザイン・開発
- CGのモーションデザイン
実際はこれら以外のデザインも趣味でやったり、仕事でも重要度が高くない部分なら自分が担当することもあります。あとはデザインを形にしたり補助するための、簡単なコードも書いたり素材を撮ったり作ったりとかも。
そのため、中国語で自己紹介する時は上記2つ以外のデザインをカバーする意味で「多媒體設計師」と言ったりしています。日本語にするとマルチメディアデザイナー。
日本では一般的な名称ではない上、途端に胡散臭い字面になるので日本人相手の自己紹介では使いません。台湾で比較的通じやすいのも多媒體設計師を使う理由のひとつです。
さて、ものづくりの人間としては上記のような肩書きや自分語りだけでなく、自分の成果物を他人に見せて価値を見出してもらうのが本懐だと思っています。
Webサイトに関してはクライアントワークの割合が多く、自分で1から作ってるのがこのブログくらいしかないのですが、モーションデザインについては最近ナカジマチカ名義でグレ〜なやつを時々作っているので、気になる人はPinterestかInstagramを覗いてみてください。
ブロガー?
こうして数年間台湾に関することをチマチマ書いていると、台湾に興味を持っている人や台湾と繋がりを持つ方の中に、ナカジマチカという存在を知っている方も時々いらっしゃいます。見つけてくださってありがとうございます。
2014年の本ブログ開設当初から上述した内容の仕事をしているとプロフィールには明記しているのですが、僕がこのブログを書いていることを知っている方々と話をすると、いまだに「ブログで生計を立ててるんですか?」と聞かれることがあります。
まぁよっぽどの魅力がない限り中の人の個人情報になんか興味ないですよね。僕としてはこのブログはあくまで個人的な趣味であり、何かを体系的に書きたい時のオンラインツールという位置づけです。
2年目くらいの時は実験的にやれるところまでやってみようと思って、記事の内容を詰めつつコンバージョン率がどこまで上がるのかを楽しんでいた時期もありましたが、ここ数年は自分の興味・関心事、自分が後で見返して役立つ内容を優先して記事を書いとります。
とは言え、本ブログからの広告収入も僅かにありますし、PRを目的とした記事作成の依頼を頂けることもあるので、報酬ベースで言ったらブロガーやライターといった自己紹介もできるのかもしれません。一般的な定義で言ったらブログを書いている人は全員ブロガーですしね。
ただ個人的な考えとしては、収入の有無、実力、知名度等に関係なく「自分はこの道で生きたい」と覚悟をして歩み始めた瞬間からそれが自身を表す肩書きになるのかなと。
そういう意味で僕は自ら『ブロガー』と名乗ることはないでしょう。
未知の脅威が蔓延る世界で
台湾5年目…というかこの台湾生活、、いや人生の中でもかなり印象に残る現在進行系の出来事としては、やはりコロナウイルス感染症の話は避けられません。
三十余年生きてきた過程で大なり小なりありましたが、鵺のような存在に行動がここまで制限されることはなかったと思います。世界規模で見ても事態は歴史に残るレベルのパンデミックへと発展してしまいました。
台湾も当然影響を受けており、現在全ての外国人は台湾入境後に数日間の在宅検疫を義務付けられていて事実上の鎖国状態(2020年5月31日時点)となっています。
ただし、街では防疫対策のためのマスク着用義務や検温などがあるものの、台湾で患者が初確認された1月から現在に至るまで基本的には普段通りの生活を続けることができています。最近では新規症例の発生が0だった日が増えているのを受け、防疫措置の緩和も始まっています。
僕自身はコロナウイルス流行以前から多数の人が活動する日程・時間帯で外出を避ける傾向にあり、仕事も元から自宅で作業することが多かったので、現状生活に大きな変化は起こっていません。
変わった点としては、人との接触を極力避けるために外食回数を半分ほどに減らし持ち帰りで食べるか、スーパーなどで食材を買ってきて自宅でシンプルな調理をして食事する機会が増えました。大容量の電鍋やエアフライヤーなどの調理器具が欲しい今日この頃です。
さて、ここ数ヶ月間ネットを通して日本やその他感染者数が拡大してしまった国の状況を見てきましたが、台湾より不自由を強いられていたのは間違いなさそうなので、こうして台湾で過ごせる何気ない日常が尊く感じられます。
台湾が比較的平穏な日々を享受し続けることができた理由としては、早い段階での迅速な対応、国民の不安を解消する実効性のある対策を講じ続け、情報をオープンにして官民で信頼関係を築き、危機意識を共有してきたことが大きいと思うので、同じ船に乗せて頂いている外国人としては感謝の一言に尽きます。
台湾と日本
台湾の防疫関連措置は、優良事例として日本含め国内外メディアでも多数取り上げられることとなり、今や僕から説明するまでもありませんが、台湾人から日本人はどう見られるようになったのか、実際に台湾に住む僕自身の個人的な感想も書きたいと思います。
さて、今(2020年3月下旬頃)この文章を新幹線の中で書いているのですが、隣に座っていた方が突然立ち上がり別席に移動していきました。
席を立った理由としては、日本語の文章を書いている僕のPC画面が見え、僕が日本人であると気付いたのが要因になっていると考えています。
単純に僕のタイピング音が相手にとって不快だった可能性もありますが、台湾の新幹線内でPCを使っている時に隣席の方が別席へ移っていったのは初めての経験です。
日本が行った措置の実効性に関しては、答えが出ていない部分も多いので素人の僕からはどうこう言えませんが、台湾のメディアや台湾在住日本人、また日本在住台湾人などの反応を見ると、日本の対コロナウイルスの評価は決して良いものではありません。
ひとつ前の項目で僕はデザイン関係の仕事をしていると書いたので、そういった立場の自分から見て、双方の姿勢の優劣を分かつ判断材料として明確だったポイントをひとつ挙げると、台湾は国民の目線に立って情報を伝えるのが上手だったかなと。
一時期台湾と日本の防疫対策を比較するために、台湾・日本の行政機関のWebサイトを見比べていたのですが、台湾は国民が求める情報をスピーディーに、そして適切な手段とデザインで公表しているように感じました。
日本も隈なく探せば様々な情報を公開し、政策を打ち出しているのですが、緊急事態宣言が発令される4月以前は、政府が具体的にどう動いているのかよく分からないという不安感を抱いた人も多いのではないでしょうか。
緊急時において、草の根かき分けて有力な情報を探したり政府の真意を読み取ったりする手間を、国民は望んではいないでしょう。
さて、新幹線で起きたエピソードに話を戻すと、台湾から見た日本も上記のように防疫に対する姿勢が掴みづらい状態にありました。台湾が防疫及び国民の不安解消にあたり先手を打ち続けているのも相まって、台湾人の立場になって考えてみればリスクを下げたい心情も理解できます。
これが今の台湾人が持っている日本人に対する評価だと受け止め、変化する状況に則ったマナーを遵守し、慎ましく生活していくしかありません。
来年の今頃には、この1年間のまとめが明るい内容で書けるよう世界が好転していることを願っています。
ナカジマチカ / nakazimachica
神奈川県出身。日本で会社員として約7年間働いた後に独立し、中国語を学ぶための台湾語学留学を経てそのまま台湾移住。現在は台中市を拠点にWebコンテンツ制作の個人事業主として生活中。