ども台湾在住のナカジマチカ(@nakazimachica)です。
2021年、80年代生まれの僕には字面が未来すぎます。変化に適応する必要のあった2020年はあっという間に過ぎ、僕の台湾生活も6年が経過しました。
今回は台湾に暮らし始めてから1年に1回書くことが自分の中で恒例となっている、台湾生活1年のまとめのような何かを書いていきたいと思います。それではご覧ください。
目次
長年親しんだ台北エリアから台中へ引っ越し
台湾生活6年目を迎えたのとほぼ同じ時期に、台湾に住みはじめて以来ずっと根城にしていた台北エリアを離れて台中市へ引越しました。
個人的に台北での生活は気に入っていたものの、元々もっと台湾のことを知るために機会があれば台北以外の地域にも暮らしてみたいという想いは頭の中にぼんやりとありました。
そこへ色々な要因が重なって始まった台中生活。多くの人が住む台北の方が必然的にイベントが多いので、以前のように興味のある催しへ気軽に参加できなくなったデメリットはありますが、それを除けば概ね快適に過ごしています。
特に天気と住環境は台北に住んでいた頃より確実に良くなったので、仕事や経済面で支障がなければ台北より台中で暮らす方がヘルシーに生活できる人もいるのではないかと思います。
今後もずっと台中拠点なのかと言われると分かりませんが、台北での暮らしを数年間経て台中を1年間過ごした僕個人の感想については下記の記事にまとめたので、台中生活に興味がある方はご覧になってみてください。
本ブログの更新状況
2014年、台湾で暮らす少し前から始めたこのブログ、どうやら2016年の3月あたりからいつの間にか週1更新が当たり前になり、数年に渡りそれが続いてしまったことで自分に対して呪縛をかけつつありました。
ですが台湾生活6年目の中で2021年という新しい節目を迎えまして、今後はブログの更新ペースを固定しないことに決めました。
ちなみに台湾で語学留学をしていた時期と重なる2015年後半からその2016年の3月くらいまでの数ヶ月間は、台湾生活1年目で新鮮さもあったのか狂ってたのか分かりませんが3日に1回のペースで新しい記事を上げていたみたいです。過去の俺ストイック〜。
ブログが友達だった頃の台湾語学留学記
更新ペースを緩やかにした理由は色々あるんですが、僕の場合ブログは95%くらい趣味でやっていることなので「更新しなきゃ」という強迫観念にかられ、ブログを書くことが義務になると精神的に良くないわけですね。
だからブログを書く = 面倒な行為になったり、無理やりネタを絞り出すようになる手前で、引き続き楽しく書けるように策を打ったという感じです。
今のところ今までブログ更新に充てていた時間を別のことを学ぶ時間にして、その間にブログを書きたい気持ちが溜まってきたらブログに戻ってきて…という良い循環が生まれているので、しばらく今の更新ペースでやってみる予定です。
もしかしたら今後更新頻度が更に下がる可能性もありますが、ブログを管理できない状況になるまではこのブログは続くはずです。たぶん。
何者かになるための情報発信
続いて前段のブログと関連性が高い情報発信の話を少し。
2010年代後半あたりからYouTubeやInstgram、ブログなどを利用した自分が持っている情報や意見で何者かになりたい人が急激に増えたような気がします。『台湾』というジャンルひとつで括っても様々なプラットフォームで精力的に活動されている様子を多く見かけます。
素晴らしい目標を掲げて走っている方々の様子を見ていて思うのは、既にその分野の第一人者や著名人とかでない限り、多くの人にとっての情報発信を通して高みに至るコツは情報発信の仕方を頑張らないことかなーと。
発信したいテーマの何に惹かれているのかを見極めて、その対象の考究に力を注げば価値ある情報や知見は自然と蓄えられるし、評価や信用もちゃんと後からついてくるはずなんですよね。
けどそれにはお金と時間をかけてコツコツ積み重ねる必要があるので、それが難しい人は見せかけの“情報発信力”や“影響力”という言葉にすがってしまう印象があります。
フォロワー数などに依存したSNSパワーに頼るのってとっても楽ですし、僕自身もそれが現代人にとってどのくらい大きな意味を持つのかも理解はしているつもりですが、そこに囚われず地道に技術を磨き知識を蓄え、次世代で戦うための地力を鍛えるのを疎かにしたくないなぁと思う今日この頃です。
過去に書いた記事(の翻訳文)が台湾のYahooニュースに…
本件のきっかけは僕が数年前に書いた記事をある方が中国語に翻訳してFacebookに投稿したところから始まります。
その投稿が多くの台湾人にシェアされ、DcardやPPTなどの匿名プラットフォームに広がり、その様子を各台湾メディアも報道、ついには台湾のYahooニュース(Yahoo奇摩新聞)までも取り上げる事態に発展してしまいました。
このブログを立ち上げて7年目ですが、把握している限りでは本ブログの記事がここまで反響を呼んだのは始めてのことだと思います。
さて、なぜ「してしまいました」という語り口になるのかと言うと、内容がプラスかマイナスかで言えば台湾のマイナス面を書いた記事で、そのネガティブな部分がより強調され、台湾人からの批判を巻き起こすような形で取り上げられたからです。
僕が書いた該当記事は全てに当てはまるわけではないこと、いち台湾在住日本人の僕個人の考えであることであることは前提として、人によっては不愉快になることを想定して表現方法にも気を配って書きました。
ただ翻訳して投稿された文章は僕が事前にチェックを行ったわけではないので、当然中国語と日本語でニュアンスが異なる部分があったり、原文を呼んでいない人の感想に便乗する形で文章を構成したであろう言及記事も見かけました。
翻訳を行いFacebookに投稿された方については後でご本人から直接ご連絡をいただき、一部僕が気になる表現や明らかな翻訳の誤りについて修正して頂きましたが、既に最初に拡散された文章が他のプラットフォームやメディアに転載されていて、僕が事態を把握した時には覆水盆に返らずという状態でした。
ただ、元になった投稿を確認した時は、悪意のある切り抜きや翻訳が見られなかったことに加え、おそらくその方もここまでの事態になることは想像していなかったと思うので、それを咎めるつもりはありません。
今回のこの状況を見た僕の感想としては、言語翻訳の難しさ、第三者のメディアなどを通して自分の意見を正確に伝える難しさに尽きます。。
日本人の感性を持ち続けることの重要さ
台湾に来たばかりの頃は台湾をもっと知りたい気持ちの延長で、より台湾人の考えに近づけるよう思案していた時期がありました。
現地の文化や習慣、マナーなどに対して敬意を払うのは当然なんですが、最近は海外で生活しながら日本人としての感性を維持し続けることも大事だと改めて感じています。
無論どこにいようが日本式のやり方を押し通すという意味ではなく、海外で現地の方々と仕事をしている一部の方はご存知のことだと思いますが、海外に住んでいると、仕事内容によっては日本人としての発想にニーズがあったりします。
つまり現地の方々の考え方などを理解した上で、日本で培った感性や視点から提案ができると自分の強みになり、海外で今住んでいる国と母国の間に立つ仕事をする時に必要とされる可能性も出てきます。
結局頼るところがこの世に産まれた時から決定されていた努力もクソもないステータスなのが情けない話でもあるのですが、これからも台湾を学びながら、日本で生活した約30年の中で育まれた自分の内側にあるものを大事に伸ばしていきたいと思います。
ナカジマチカ / nakazimachica
神奈川県出身。日本で会社員として約7年間働いた後に独立し、中国語を学ぶための台湾語学留学を経てそのまま台湾移住。現在は台中市を拠点にWebコンテンツ制作の個人事業主として生活中。