ども台湾在住のナカジマチカ(@nakazimachica)です。
僕は神奈川県の横浜という国際貿易を目的に日本で最初に開かれた港の街出身なのですが、その横浜の観光地と言えば「横浜中華街」の存在は欠かせないかと思います。
一応過去に2,3回訪れたことが有り、その時の目的はもちろん「中華料理を食べる」「地元の有名な観光地へ行く」といった一般的なものでした。
しかし横浜中華街で生活を営む方々は、僕が現在住んでいる中華民国(台湾)にルーツを持つ華僑、華人も少なくありません。
そこで今回は台湾で生活して数年経過した自分の目から、観光目的以外で改めて横浜中華街を歩いた時にどういう風に見えるのかが気になり、日本へ帰省したタイミングで現地へ遊びにいってきました。それではご覧ください。
目次
横浜中華街の概要
横浜中華街は日本三大中華街のひとつであり、日本最大かつ東アジア最大のチャイナタウンです。
対消費者向けの店舗は620軒あり(2010年6月時点)グルメタウンとしても名を馳せる、年間1900万人もの人が訪れる横浜の代表的な観光地でもあります。
元々横浜中華街がある一帯は、1859年の横浜開国後に諸外国からやってきた外国人にあわせて外国人居留地として造成されましたが、1923年に発生した関東大震災の影響で欧米人の多くが帰国し、その後徐々に華僑・華人を中心とする街になっていったと言われています。
台湾在住日本人が横浜中華街を歩く
実家を出て数十分、やってまいりました横浜中華街の最寄り駅のひとつ元町・中華街駅です。改めて見ると何処か台北MRTを思い出す質感と色使いのプラットホーム。
その元町・中華街駅を出てすぐのところにあるのが横浜中華街の朝陽門です(別名:青龍門)。
朝陽門は横浜中華街の東に位置し、南には朱雀門、西には延平門(白虎門)、北には玄武門と、横浜中華街の東南西北には方角を司る霊獣の名前を冠した4基の門が立っています。
東南西北の門とは別に5つの門もあります。一番有名なのはこちらの善隣門でしょう。
さらに西陽門、天長門、地久門、市場通り門と続き、横浜中華街には合計で9基の門が存在します。
横浜中華街の周辺施設を見ると特色があり、例えば天長門前の駐車場は廟風の装飾がついています。
朝陽門近くのセガのゲームセンターの外観には雷紋。
公衆トイレも涼亭風デザインです。
さて中へ入っていきましょう。横浜中華街の来訪者は95%以上が中華系の人以外で、一般的な中華街とは異なるそうです。
西暦の正月と農暦の正月の間に訪れたので、賑わう通りには春節を祝う美しい龍のランタンが飾られていました。
いくつかの中華街を訪れたことがありますが、横浜中華街は清潔感が高く、道にはほとんどゴミが落ちていません。
薄暗いビルの隙間までもこの通り。
訪れた日はよく晴れていましたが部分的に濡れている路面がありました。台湾のレストランでもよく見かける水を流してデッキブラシをかけた後でしょうか。
通りの名前を見ると興味深い名前が付けられています。
台湾でもお馴染み中山路。
こちらは北京小路。他にも上海路や広東道などの有名な地名の名が付いた通りがあります。
横浜中華街中央部までやってくると見えてくるのが横浜中華街の中のランドマークのひとつ横浜関帝廟です。祀られているのは三国志で有名な関羽。台湾の廟でもよく見かける神様ですね。
こちらは2006年に横浜開港150周年事業として開廟された横浜媽祖廟。台南市大天后宮より分霊された廟です。
横浜関帝廟の横に建つ横浜中華学院は中華民国系の中華学校です。前身となる中西學校は1897年に中華民国の国父である孫文によって設立されました。
同じく横浜市中区にある石川町駅からすぐ側の横浜山手中華学校は中華人民共和国系の中華学校です。
外国人居留地と言われていた頃の名を留める、お店がギッシリ詰まった「横濱バザール」。このビルがある関帝廟通りは小田原町とも呼ばれていました。
今は東アジア最大の中華街と言われるまでになりましたが、実は横浜開港当時に日本へやってきた中国人はそこまで多くなく、日本人と西洋人の間に立って仲介の役割を担い、貿易港横浜の賑わいを支えていたそうです。
少し細めの電線でごちゃごちゃした市場通り。いかにも日本の中華街という出で立ちで良いですね。
小さな路地が気になります。
かつて一世を風靡したチーズドッグ店の悲しい現状。中華街だから仕方ない。
台湾の裏路地でもあるあるな注意書き。
更に中心地を遠ざかれば、よく見る日本の住宅街の風景に様変わりします。
けどマンションのエントランスゲートには春聯がしっかり飾ってあったり。
横浜中華街の食についても台湾という切り口で見ていきます。中国料理と中華料理の看板を掲げた2つのお店。
台湾のレストランは特定の地域を指し「○○料理」という看板を掲げるので、中華料理や中国料理という看板でメニューを広く取り扱うレストランは日本の特色とも言えるでしょう。
「台湾○○」という文言をよく見かけました。「台湾○○」が美食の代名詞として使われているような気がします。
東北酸菜白肉鍋を提供するお店も台湾で人気アピール。こう書かれると胡散臭く見えますが実際に台湾で食べられているポピュラーな鍋料理のひとつです。
こちらは2019年9月にオープンした、台湾で炒飯ナンバーワンとも言われている店「民生炒飯」の横浜中華街支店。黄地に丸ゴシック体の赤文字看板が台湾味。
海原のブルーバックに黄文字の看板がこれまた台湾の熱炒店のような装いです。こちらは魚屋さん。
建物の外壁に台湾本島を描いたお店。
大量の中華民国国旗を外壁に束ねているのが目を引くお店です。
タピオカドリンク(タピオカミルクティー)は確かに台湾発祥ですが、バタフライピーが使用された色鮮やかなお茶に関しては、台湾では確かタイから来たと言われていたような。
日本におけるタピオカ系ドリンクの行く先はどうなるのでしょうか。
さて、約10年前の僕の横浜中華街を代表するおやつのイメージとイコールだった天津甘栗ですが、
最近は葫蘆糖(いちご飴、フルーツ飴という名前で呼ばれていた)の影に潜むようになった気がします。タピオカミルクティーと比較しても葫蘆糖を手に持つ観光客をよく見かけました。
手に取る外国人観光客が存在するのか気になるゴマ団子、揚げパン、挙げドーナツのラインナップ。台湾でも時々こういった揚げパンの屋台を見かけますね。
最後に
以前ただ中華を食べることができる観光地だと思って訪れた横浜中華街を改めて歩いてみると、横浜開港から歩み、外国人との共生、そして現在の台湾との繋がりなど色々発見があり、近代史を振り返る良いきっかけになりました。
僕は日本の横浜に生まれ、今は台湾という海外に住んでいるわけですが、当然外国人として海外で生活していることを実感せざるを得ない場面もあります。
だからこそ横浜中華街には、シンボルである善隣門に書かれた『親仁善隣』を反映できる場所として永くあり続けてほしいと思っています。
ナカジマチカ / nakazimachica
神奈川県出身。日本で会社員として約7年間働いた後に独立し、中国語を学ぶための台湾語学留学を経てそのまま台湾移住。現在は台中市を拠点にWebコンテンツ制作の個人事業主として生活中。