ども台湾在住のナカジマチカ(@nakazimachica)です。
先日天気が良かったので、卒業生の知人から観光で行っても楽しいと聞いていた台中の東海大學を散歩してきました。
そこで今回は台中の東海大學の概要や現地の様子を紹介したいと思います。どうぞご覧ください。
目次
東海大學とは?
台中の東海大學は1955年に台湾で最初の私立大学として設立されたミッション系の総合大学です。
校地面積は135.65ヘクタールにも及び、台湾の私立大学では最大の大きさを誇ります。
東海大學へのアクセス方法
東海大學へのアクセス方法は、台湾大道を走る300〜310路線のバスに乗り、バス停榮總/東海大學で降りるとすぐに東海大學の正門が見えます。
東海大學の敷地内を紹介
東海大學の正門です。
校名の由来については、名前を決める際に玉山・成功・協和・聖保羅などの案が挙がったそうですが、場所が台湾海峡の東に位置するので『海東』という案が出て、その後色々な方々の意見をもとに『東海大學』となったそうです。
東海大学と聞くと姉妹校でもある日本の東海大学を思い浮かべる人も多いかと思いますが、日本の東海大学とは校名に込められている意味が全く異なりますね。
正門から入ってすぐの様子。続く道路がキャンパスの広大さを物語ります。
東海大學の全体マップです。いくつかのエリアに分かれています。
各種屋外運動場や体育館が並んでいますね。
ちなみに東海大學は台湾で唯一、幼稚園、小学部、中学部、高校部を有し、更に大学から研究機関までを備える一貫教育校でもあります。
この構内にある道路に設置された施設案内ひとつとっても学校の規模が伺えると思います。
こちらは男子学生宿舎。宿舎エリアにはこのように年季の入った建物が林立しています。
東海大學の歴史を読むと1955年に撮影された建設中の男子学生宿舎の写真もぱっと見はほぼこのまんまなので、補修工事を重ねながら大事に使われてきているのでしょう。
工學院が入る校舎。教学エリアではこういった三合院型式の建築が数多く利用されています。
東海大學の華語教學中心(中国語の語学センター)入口。かつて台湾師範大学の語学センターで中国語を学んだ身として気になったので外から少し様子を伺いました。
華語教學中心が入る校舎の中庭。
たくさんの学生が行き来する文理大道を学生と一緒に歩きます。
東海大學は全体的に西に向かってゆるやかな勾配があり毎日校内を移動する学生は大変だと思いますが、台湾の街中では聞く機会が少ない、爽やかな鳥のさえずりが身体の疲れを和らげてくれます。
学校の敷地内にあるコンビニって気になりますよね。
イートインスペースはやや自習向けのレイアウト?
中正紀念堂大廳。式典や講演会、イベントのパフォーマンスなどに利用されます。
学校の広告にも頻繁に使用され、東海大學のシンボルにもなっている路思義教堂(ルースチャペル)前へやってきました。
約60年前に落成したとは思えない色褪せないデザイン。周辺一帯が芝生になっているのが建物の建築美を際立てます。
路思義教堂の前にある畢律斯鐘樓。1965年にニューハンプシャー州の合同教会から寄付されたものだそうです。
これまた歴史を感じる建物に『郵局(郵便局』の緑色サインが見えますね。
この雰囲気たっぷりの郵便局は、1964年に開局し2020年まで現役で活躍していた郵便局です。
現在の『東海大學郵局』はキャンパスから少し離れたところに移転しましたが、こちらの元東海大學郵局にはATMとi郵箱(中華郵政が提供する宅配ボックスサービス)が残されています。
東海大學はご覧のように敷地内に多くの古建築が保存、活用されているのが印象的です。
この建物を含めた風景も素敵。
カジュマルとの古建築の組み合わせも絵になります。
日陰で休憩中のわんこたち。学校全体で世話をしているのでしょうか。
牧場エリアもあり、牛などの動物を見ることもできます。
その牧場で飼っている乳牛から頂いたミルクを材料に作られたアイスが、構内にある東海大學乳品小棧で購入できるの買ってみました。
棒アイスだけではなくカップアイスや牛乳、ヨーグルトなどの乳製品、その他関連グッズなども販売されています。
様々な植物を鑑賞できるので散歩にも適しています。僕が訪れた時は学生ではない雰囲気の方々が構内を歩いている様子もたくさん見かけました。
最後に
以上、台中の東海大學の概要と現地の様子でした。
台中の中心地からは少し離れますが台湾大道沿いにあるので比較的アクセスは容易です。天気が良い日は広い構内を散歩をしながら自然や美しい古建築を楽しんでみてください。
施設情報
東海大學
台中市西屯區臺灣大道四段1727號地図(Googleマップ)で見る
ナカジマチカ / nakazimachica
神奈川県出身。日本で会社員として約7年間働いた後に独立し、中国語を学ぶための台湾語学留学を経てそのまま台湾移住。現在は台中市を拠点にWebコンテンツ制作の個人事業主として生活中。