ども、廟を見たり写真を撮ったりするのが大好きナカジマチカ(@nakazimachia)です。台湾といえば街中にたくさんの廟がありますよね。
今回は台北の士林区にある「芝山巖惠濟宮」という場所へ行ってみました。
ということで、芝山巖惠濟宮への行き方や現地の様子を紹介していきます。どうぞご覧ください。
目次
「芝山巖惠濟宮」とは?
芝山巖惠濟宮は台北士林区の芝山の中にある神様が祭られている御殿です。
その歴史は今から250年以上前と古く、1751年に福建漳州の人々が台北の士林に移住した後に建立し、1900年代後半に数回の修繕を経て今の形となりました。
芝山巖惠濟宮への行き方
台北MRT芝山駅で降り、1番出口から出て15分ほど歩くと到着します。
芝山巖惠濟宮の様子
まずは芝山巖惠濟宮へ行くために、「雨聲街」というロマンチックな名前を持つ通りに面する山路から芝山を登っていきます。
なかなか急な坂になっていますが象山ほどではありません。
ドラえもんの下校風景のような4つの道が交わる十字路があることから分かるように、芝山内の山路は少しだけ入り組んでいます。
御殿があるところに到着しました。こちらが芝山巖惠濟宮正殿です。
御殿があるところは高台になっているので台北の街を見渡すこともできます。
某有名な方々の石像がありますね。
龍の頭が並んだ水場。
廟が建てられてから250年を記念する石柱です。
芝山巖惠濟宮の一部はかつて日本の台湾統治後初の日本語教育学校(公学校の前身)があった場所でした。よって学業成就のご利益もあります。
山奥にしてはここで働いている方は意外と多く、廟内部はかなり綺麗に整備されています。
参拝順序および御殿のつくりはこのようになっております。
至誠路二段側へ階段を降りていくと、十六羅漢、十八羅漢、五百羅漢と呼ばれる仏道修行者の美しい石像が並んでいます。
芝山巖惠濟宮へと続く至誠路二段側の山を登る階段はこのように両脇に提灯がびっしりと敷き詰められています。夜中は灯りが点くのでより幻想的な風景になります。
最後に
以上、長い歴史を持つ芝山巖惠濟宮の紹介でした。
芝山巖惠濟宮は清朝統治時代、日本統治時代、中華民国統治時代を経ており、様々な史観が交わる台湾の歴史が一筋縄ではいかないことを思い知らされる場所でもあります。
当時の日本人がこの場所へどのように関わったのか気になる人は「六氏先生」などで検索してみるとより色々なことがわかります。
施設情報
芝山巖惠濟宮
臺北市士林區至誠路1段326巷26號地図(Googleマップ)で見る
営業時間/05:00〜19:00
定休日/なし
ナカジマチカ / nakazimachica
神奈川県出身。日本で会社員として約7年間働いた後に独立し、中国語を学ぶための台湾語学留学を経てそのまま台湾移住。現在は台中市を拠点にWebコンテンツ制作の個人事業主として生活中。